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人間のトリセツ なぜあの人は怒るのか

あなたはこう考えたことがないだろうか。

 

なぜあの人はいつも怒っているのか?

なぜあいつはイキってるのか?

なんであの人はあんなことをするんだろう?

 

他人の謎行動で不快な思いをすることはよくある。

 

今後そういった場面に出会ったとき

少しでもそのイライラが緩和されるように

人間の性質について少し紹介したいと思う。

 

 

そもそも大人とか子供なんてものはない

 

僕らは人を見るときに、よく年齢を気にする。

 

あの人はいい年して子供っぽいとか

年の割にしっかりしているとか

 

年齢によって良し悪しを判断しがちだ。

 

しかし世の中を広く見れば、

必ずしも年齢と人間性(精神年齢)は一致していないことがわかる

 

そもそも人間は昆虫のように、

幼虫から成虫へと変態する生き物じゃない。

 

僕らが大人と子供を分けているのは、

社会のルールとして成人年齢が規定されているからでしかない。

便宜上、概念として、子供と大人という区分があるだけだ。

 

だから大人らしく子供らしくというものの見方は適切ではないのだ。

注目すべきは、精神の成長段階にある。

 

マズロー欲求段階説というものがある。

ja.wikipedia.org

 

 

 

  • 自己実現の欲求 (Self-actualization)
  • 承認(尊重)の欲求 (Esteem)
  • 社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
  • 安全の欲求 (Safety needs)
  • 生理的欲求 (Physiological needs)

 

 

 

 これは人間の精神的な成長をモデル化したものだ。

 

下位の欲求が適切に満たされれば、

より上位の欲求へとステージが変化していくことを表している。

 

犯罪の発生率と貧困率には強い相関があることは知られている。

貧困の中にある人は他人のことを考える余裕がない。

生理的欲求と安全欲求を満たしてはじめて他者への関心が生まれる。

 

貧すれば鈍する、衣食足りて礼節を知る。

 

ことわざにもあるように、

人間性が育つためには適切な環境が必要なのだ。

 

言い換えると、精神的に未熟な人とは、

ちゃんと精神が育つ環境がなかった人たちなのである。

 

体の成長に栄養が必要なように、

心の成長にも栄養が必要なのだ。

 

 

最近SNS上でよく見かける、

フォロワーを求めたりいいねを求める心理もこれで説明できる。

 

他人に認められたい、人とつながりたいという欲求に、

SNSはダイレクトに応えてくれる。

 

たくさんの仲間といると安心する。

しかしそれも長くはもたない。

承認欲求が大きくなってくるからだ。

 

 承認(尊重)の欲求 (Esteem)自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求。尊重のレベルには二つある。低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる。マズローは、この低い尊重のレベルにとどまり続けることは危険だとしている。

高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される。この欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる。

 

高いレベルの尊重欲求を満たすためには自己研鑽が必要になる。

忙しい毎日に追われて疲弊している人には難しい。

だから手軽に得られる、低いレベルの尊重欲求を満たそうとしてしまう。

 

けれど低いレベルの尊重欲求は精神を成長させてくれない。

いつまでも充足することはなく、

それでも求め続ける負のループに突入してしまうのだ。

これがフォロワーを求める心理の正体である。

 

いつも偉そうな人、怒鳴り散らしている人、イキっている人

この人たちは、承認欲求が満たされずにもがいている人である可能性が高い。

 

尊重してほしいが尊重されない。

その心が、他人を力で押さえつけることで自分の価値を認識しようとするのだ。

 

あいつより強い、俺スゴイ。どやぁ。

最近はマウンティングとしてこの行為が知られるようになりましたね。

 

 

また、精神の成長段階に関わらず、

心の栄養が足りていない人は機嫌が悪くなる。

 

ストレスを抱え余裕がなくなるために、

イライラしたり人に辛くあたることもある。

 

だから怒っている人を見てもすぐに「嫌な奴」と判断はせず、

「心の栄養が足りていないんだな」と思ってあげてほしい。

 

 

人間も動物

 

 

人間には感情と理性がある。

感情は人間らしさの象徴とされるが、実際には動物性の現れなのだ。

 

 

ja.wikipedia.org

 

  • 情動システム(システム1)-即座に働き、短期的な利益(主に生存・繁殖)に関わり、主に大脳辺縁系に司られている。進化的な起源は古い。
  • 理性的システム(システム2)-ゆっくりと働き、長期的な利益を勘案することができ、主に大脳新皮質に司られている。進化的な起源は比較的新しい。

 

 

動物は言葉をしゃべらないから、悲しいとか怒っているとかは反応から推測するしかないが、情動のようなものは動物にもみられる。

 

大脳辺縁系は動物脳とも言われ、本能や生命維持に大きな役割を果たしている。

 

大脳新皮質は理性、合理的判断、言語機能などが主な役割である。

 

この2つはアクセルとブレーキのような関係になっており

情動というアクセルを理性というブレーキでコントロールしている。

 

すぐに感情的になる人は理性が弱く、情動のコントロールができない。

情動をコントロールするためには大脳新皮質の働きを大きくしなければいけない。

そして大脳新皮質、理性を鍛えるためには言語処理をたくさんさせるしかない。

 

 

つまりは、普段から脳みそ使って考えているかどうか、なのだ。

 

僕ら人間を他の動物と分けているものは、言語による営みだけである。

その唯一人間らしい営みをちゃんとしているのかどうか。

これが人間らしい理性的な人と、感情をコントロールできない動物的な人がいる理由だ。

 

誤解のないように言っておくが

これは特定のだれかをバカにしたり貶したりしているわけではない。

人間とはこういうものだ、という事実を淡々と書いているだけである。

 

僕らはみんな、生まれてきたときは知識ゼロだ。

成長とともに学び、大脳新皮質を鍛え、社会で生きていく術を得ていく。

 

違いは、学ぶことをやめたかどうか。

 

学び続けてきた人は大脳新皮質が鍛えられ、情動をコントロールしやすくなった。

学びをおろそかにしてきた人は大脳新皮質が発達せず、情動をコントロールできない。

それだけのことなのだ。

 

 

今現在理性的な人であっても

かつては感情がコントロールできない時期があったはずだ。

 

子供はよく泣きよく笑いよく怒る。

それは大脳新皮質が未熟だからだ。

 

 

これはどちらが良いという話ではない。

人間ってそういうものなのだ。

 

 

結論

 

怒りっぽい人、イキってる人、感情的で非合理な判断ばかりする人。

 

それらの人は精神的に成長する環境がなく、心の栄養が足りていない。

感情をコントロールする手段を知らず、振り回されている不自由な人たちである。

 

どんな人も、みんな人生という旅の途中。

たまたま恵まれた人がより先に進んでいるだけ。

まだ学びの途中にある人は一見イヤな人に見えるかもしれない、しかしそれは過去の自分自身なのだ。

 

腹が立つこともあると思うが、そんなときはこの記事のことを思い出してほしい。

客観的に分析するだけでも、いくらか怒りが収まると思う。