批判することについて。
現在の日本の社会制度、もしくは我々の「暗黙の了解」である常識。
そういった「無言の圧力」が「息苦しさ」を生み出している。
そしてその「息苦しさ」が世の中の空気感をつくり、「恨みを抱えた人」を作り出す。
仮に、すべての人が楽に生きていけるとしたらどうだろう。
ストレスを抱えることもなく、恨みを抱える必要もなく、他人に怒りをぶつける必要もなくなるのではないだろうか。
もちろん、すべてがそう上手くいくわけではない。例外もあるだろう。
けれど「生きやすい世の中」になるだけでも、犯罪の何割かは減るはずだ。
わざわざ罪を犯して「幸せ」を捨てようとする人は稀なはずだから。
大切なのは、我々ひとりひとりが「よりよい世の中」を作ろうとする意志だ。
これは他人事ではない。
なぜなら「世の中」とは個人の集合体のことなのだから。
他人を攻撃する人が多くなれば「攻撃的な世の中」になる。
やさしくおおらかな人が多ければ「寛容な世の中」になる。
ほとんどの人は「安心して楽しく暮らせる世の中」のほうが良いはずだ。
なのになぜ自分はそうしないのだろうか。
「世の中」を作っているのは自分自身だということを知らなければいけない。
他人を貶すのは簡単だ。
人を見下すことは気分がいいかもしれない。
だが貶されて嬉しいだろうか。
見下されて楽しいだろうか。
バカにされた人は、その相手に好意を抱くことはない。
その無邪気な暴言が、人間に絶望する人を作る。
その考えなしの攻撃が、世の中を憎む人を作る。
自分だけが良ければいい人間を、他人を蹴落とすのが当たり前の人間を作る。
そしてまた他人をバカにする文化が受け継がれてゆく。
こうして「息苦しい世の中」が作られていく。
そうやって見下しあい、バカにしあうのが当たり前の世の中でいいのか。
欠点や間違っていることを、相手のために指摘するのはいい。
しかしそれが本当に正当な指摘なのかは見極めなければいけない。
批評にも思いやりがなければいけない。
でなければ、それはまた負の連鎖を産むからだ。
ただたんに自己満足のためだけに批判するようなことがあってはいけない。
それは誰も、自分自身さえも幸せにすることはないから。